『出来る範囲で死ぬほど頑張る』
前章でも記した「大上下知有之」
阿久根氏の理想とするリーダー像。
「人にダメ出しするのって、これが難しいんですよねぇ」
難しいと言いつつもその表情は明るい。
以前の密着で講師としての姿から見た〝ダメ出し〟は、わたしから見たら人格者そのものだった。
明るいし、嫌味がない。
それが阿久根知昭という人間性なのだろう。
少し困った顔をして言った、阿久根氏のある言葉が印象的だった。
「過失は咎めません。けど、今のままは一生苦労しますよ。苦しみながら追い付いてください。とは思いますよねぇ」
もしも〝ずる〟 をして何かを得たとしたら、きっと本人はそのことを誰よりもわかっている。
怒られたり注意された時、そこにあまりいい道ではない逃げ道をつくりだしてしまう事もあるかもしれない。
〝だって〟とか言い訳といった類の…。
阿久根氏のそれは、怒られるより、見放されるより、響く。
阿久根氏に感じる北風と太陽手法。
わが子に対する自分にも感じるものがある。
子どもの失敗なんて、わたしを困らせようと思ってしているわけではない。
まだこの世に生まれ数年しか経っていない。
勝手にこちらが困ったり、困るという感情を選んだだけだ。
それなのに咄嗟に感情を出してしまうことがある。
感情をぶつけて悲しい気持ちや不安にさせたいのではなく、〝長い目で見ていつかしないようになること〟がゴールにあるのなら、理由と、次から気をつけようね。の、それだけでいい。
だって。
ただそれだけのことなのだから。
出来ていないなぁ
自分だって、ひとつひとつ時間をかけて出来るようになってきた。
今だって成長していないところが山ほどあるにも拘らず、一体全体どの口が言っていたのだろうかと感じた。
〝ダメ出し〟でもない〝伝え方〟も出来ていない自覚のあるわたしには、阿久根氏の背中があまりに大きい。
脚本家として紡ぎ出すセリフや、演出家、講師としての姿勢・伝え方。
阿久根氏はどのように身に着けてきたのだろう。
経験から…?
本や映画、誰かの言葉から?
「人物を描いている中で気づくことがありますよね。
物語の中で学びを得ています。
物語の中で人間を動かしながら
疑似体験しながら気づいていく。」
冷静な視点から見ることができるのだという。
目からうろこだった。
そうやって気づきを得てきたのか。
自分で書くことで見えてくる。
虚構の世界に浸るのでもなく、しっかりと現実の世界を生きながら学びとする。
〝どんな辛い経験も、誰かにとっての光になるのならいい。〟
そう思える人だからこそのひらめきだったのかもしれないな。そんな風に感じた。
人にダメ出しをする言い方ひとつをとってみてもそうだが、阿久根氏には、痛みを抱えた人に寄り添う強さがあった。
実際、同じようなことを役者から言われたのだという。
「監督には、弱者に対しての優しい目線がある」
勝者には厳しいですけどねと阿久根氏は笑った。
傷ついたことの無い人なんていない。
傷つかなくていいような傷を抱える人もいる。
知っていて損なことはないと思えること。自分の経験が誰かにとって、乗り越えるために光になるのならダイヤモンドだって思えること。
自身の持つ傷に関しても、それをどうしていくか自分で選べる。
経験や傷への向き合い方って一つではないし、みんな違う。
時間をかけて治る傷もある。
身体の一部になって付き合っていく傷もある。
瘡蓋になって、はがしてしまっていつまでも治らない傷もある。
瘡蓋をはがそうとしてくる人に出会うこともある。
深い傷跡が残ることもある。
同じところに何度もつく傷もある。
同じ経験であっても、乗り越えていける人と、ずっとそれに縛られてしまう人の違いって何だろう。
もちろん、向き合い方同様、理由も一つだけではなく、それぞれに様々な出来事が作用しているだろう。
わたしは親になるまで後者だった。
今ならわかる。きっと、その方が楽だったからだ。
言い訳があることを選んでいた。
けど。そんなのつまらない。阿久根氏の強さを知り、そう感じられた。
つまらないし、そんな生き方をする母親の姿を子どもに見せたく無い。
周りが認めてくれるから幸せな親子なのでもない。自分たちが、ただ共に生きているだけでいま幸せな親子だ。
自分のためになら変われなくても、子どものためになら変われる。
〝こうなってしまったらどうしよう〟ではなくて、
〝そうならないように導いていく〟
未熟なりに、歩みを進めよう。
『出来る範囲で死ぬほど頑張る』
葛藤しながらも自分の軸で歩みを進める阿久根氏の姿。
阿久根氏は目の前のことに向き合う中で、経験を、出来事を、希望に変えてきた。
紙の上で人間を動かさずとも、阿久根氏ならば希望に変える術を身に着けただろう。
「僕はフロントマンではないし、プレイヤーでもありません。
求められたときにいる存在であれたらいいんですよね。」
阿久根氏は、こんな人がいるのかと思うと嬉しくなるような人だ。深みがあるのに軽やか。
ふと、わが子のように感じられる瞬間まである。
不思議な人だなぁ。
サービス精神も旺盛。根っからのエンターテイナーで、優しい人なのだろう。
こういう表情欲しいでしょう? といった具合に、カメラマンの求めそうな表情を作ってくれる瞬間がある。
ありがたくその船に乗り、撮らせていただいているが、一年を超えるこの密着の中で、そうではないリアルでの阿久根氏の姿を捉えることも楽しみのひとつになっている。
そのままが撮りたい。
そのままでいて、まるごと魅力的なのだ。
優しくて、あたたかい。
はじめに作品から感じた阿久根氏への印象は、実際の阿久根氏の姿そのものだった。そこに至る過程は想像と違ったかもしれないが、だからこそ光になった。
乗り越えて、希望に変えてしまう。
阿久根氏を知る人たちから見た〝阿久根知昭の姿〟
次章では仲間たちのフィルターを通した阿久根氏の姿を見つけたい。
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